関西粒トロアンサンブル旅行記1

アヤノの関西旅行記 大阪〜神戸

特に疲れも残らずに週が明けたことを、まずは関西粒トロの面々に感謝したいと思います。

ほぼ車での移動、酔っ払いにもめげずに電車の乗り方を教えてくれたみんな、ホントにありがとう。

とってもたのしい5月の最後の週末を過ごしました。

5月26日(土)

私は遠方に出かけるときに寝坊したことはない。

気合が入ってちゃんと起きられる。

普段は(ry

8時半の仙台行き高速バスにはサンリア前から乗り込めた。

途中、多少の調子の悪さは感じたが、約4時間のバスの旅は特筆すべきトラブルもなく過ぎ去った。

トランクに積んだトロンボーン

公共の交通機関での楽器携行旅行は初めてかもしれない。

仙台駅前バス停に定刻通り到着。

英語圏の客が下車時にトラブル。どうやら釣銭を用意していなかったようで、

運転手が何度言っても2300円のバス料金を万券で支払たいようだ。

先に下車した私は、運転手が開けてくれるといったトランクの前で待機していた。

やがてその客は支払いが済んだのか、どすどすと降りてきた。

「ぷしゅー」「ぶろろろ」

バスの扉が閉まり、バスが発車しようとした。

「待ってー!! 楽器ー!!」

バスをばんばん叩いて、運転手に訴える。私の楽器が県庁市役所前に行ってしまう!!

バスはすぐ止まり、運転手があわてて降りてきて出してくれた私のトロンボーン

「すみません、うっかりしていました」

うっかりではない、私は何しに関西まで行くんだよ。

5月末の仙台は、朝方の大船渡よりも暑かったが、ジャケットを着ていても不自然ではない天候だった。

3年弱住んだ街は、それから16年の年月を超えて様変わりしていた。

震災の影響もあってか、あちこちで工事の足場が見える。

私が知っている仙台空港行きのバス停は消えていた。

「すみません、仙台空港行きのバスは・・・」

「あー、震災の影響でね、廃止になったんだよ」

「じゃ、じゃあ空港までは・・・」

「電車で行ってください」

「で、電車はどうやって・・・」

「それは駅で聞いてくださいw」

そうだ、ここはバス案内所だ、電車のことはわかるはずない。

トロンボーンを背負って、キャリーバックを引きながら、ペディストリアンデッキを右往左往30分。

私はまっすぐに駅構内に入って2番線に降り立てば良かったのだ。

知らない間に仙台空港アクセス線という電車が出来ていた。

空港の入り口に直結する電車だった。なんという便利。

空港に入ってからは順調に進み、搭乗口で何やらプロスポーツ選手のような若者たちがたむろするロビーで遅い昼食を食べる。

10年ぶりに乗る飛行機は、QRコードやらなんやらでハイテク化が進んでいた。

このあたりでスマホの電池はやばかった。

14:45仙台発、約1時間ちょっとの空の旅。

スマホに入れてきた映画2本は結局見ることが出来なかった。

いよいよ離陸。

窓際の席を予約したことを若干後悔した。私は高所恐怖症なのだ。

繰り返すが約10年ぶりの飛行機、しかも一人で乗るのは初めてだ。

一人旅自体が久しぶりだった。

心臓はバクバクである。

「離陸すれば大丈夫、離陸すれば安定する」

自分で言い聞かせながら窓の外を眺めた。

窓の外にはジェットエンジンが見える。焼き切れてくれるなよ、エンジン。

そんな心配をよそに、何事もなく離陸した。

仙台空港がどんどん離れる。

仙台空港は、海に程近い。

ふと、津波のことを思い出した。

眼下には、更地になった町がちらりと見えた。

とたんになぜか、涙があふれてきた。

肉眼で上空から被災地をみるのは初めてだ。

仙台空港アクセス線の電車の中から、仮設住宅の群れを見ることが出来た。

母校の大船渡一中の校庭に建ってるのよりは少し少ないが、それでも7〜80世帯ぐらいはあったと思う。

ああ、とは思ったが、やはり黄土色の大地を見るにつけ、ここまで復興した空港に感謝するのと、

あの土地にはいったい何が建っていたのだろうという思いがあふれた。

隣の席のじいさんは、いきなりずびずび泣き始める私にびびったことだろう、すまんじいさん。

どうにか小一時間が経過して、大阪の街が見えてきたころにはすっかり気持ちも落ち着いてきた。

大阪のみんなに会える気持ちの方が高揚してきた。

着陸に備えてベルトをしめなおす。

街がどんどん近づく。

車がいっぱい走っているのが肉眼で確認できた。

自転車かバイクで走る人の姿がみれるぐらいになった。

歩いている人間が見えた。

あっという間の着陸だった。

預けた荷物を受け取りに、コンベアの前で待機する。

待機すること5分。

私がいたのは沖縄便の荷物の前であった。

仙台はむこうのコンベアだった。

あわててそちらに走って行った。

ちょうど私のキャリーが流れてきた。

拾い上げて、楽器は? と探した。

仙台で青いバイオリン用のコンテナに収納されたはずのトロンボーン

先に到着して係員の方がよけていてくれた。

青いケースをぶら下げて、気温28度の大阪に到着した私は、

長袖のカットソーにジャケットを着ていてめたくそ暑かった。

機長が最後に機内でこう語った。

「到着します大阪の現在の気温は、28度です」

機内から一斉に溜息が漏れた。

迎えに来てくれたしづかさん。と、しょうたろうくん。

バストロンボーンのしょうたろうといえば、わが後輩にもいたが、

広い世の中、まさかそいつじゃなかろうと思ったが別人で大いに安心した。

そもそも、高校の部活もサボり気味だったあの子が、

大学生になっても楽器を続けているとは思えなかった。

そして、横浜のしょうたろうくんは、わが後輩しょうたろうと比べるまでもなく上手かった。

しづかさんにショッピングモールに連れて行ってもらい、夜の宴会まで大いに買い物を楽しんだ。

念願の靴もゲットした。

以前は冬に大阪に来たので、ブーツを買ったのだが、

大阪のブーツは靴裏がつるつるなのだ。

何度冬に履いて転びそうになったかわからない。

岩手の冬は、いくら雪が少ない沿岸でも凍結はするのだ。

つるつるの靴裏など、自殺行為以外なんでもない。

今回は夏ものなのでその心配はなかった。

神戸に向かう。

鉄板焼きという文化は大船渡にはあまりない。

というか、食文化という食文化があまりないような気がする。

魚メインの大船渡は、刺身か塩焼きなのだ。

野菜はおひたしが基本だ。

我が家はそうだ。

よそはしらん。

食べたことのないおいしい食べ物、

初めて会う大量のトロンボーン吹き。

大船渡界隈でトロンボーンをこれだけ集めるとなると、中高生の吹奏楽部員もふくめないと無理だろう。

いいすぎか?

でもたぶん、足指までで数え足りると思う。

顔と名前とIDが一致しないのはビールのせいではないと思う。

もともと人の名前を覚えるのは苦手なのだ。

酔いと流れに任せ、楽しいひとときをすごした。

ホテルまでの道も、親切なみなさんに助けられて無事こなすことができた。

「みどうすじせんにのりかえたらえきふたつでおりる」

「みどうすじせんにのりかえたらえきふたつでおりる」呪文のように唱えながら、キャリーを引く東北人アヤノ。

改札を抜け、駅の地図を眺めると、今晩宿泊するホテルが駅の横にあることを知った。

大阪に来てまでローソンで買い物をした。

せめて大船渡では見ないようなものを食べようと、店内をぐるぐる回り、

Lチキはいつでも食えるだろうというか朝からLチキはいいだろうと言い聞かせながら買い物をすませた。

ホテルは楽天で人気どうたらといううたい文句であった。

が、田舎者アヤノにとって、物置のように狭いシングル部屋だった。

必要最低限だ。歯磨きコップにヒビが入っていた。

すかさずコンセントでスマホを充電。

しづかさんからメールが届いていた。

明日のアンサンブル会場までの電車の移動方法だった。

なにからなにまでありがたい。

酔いを醒まして風呂に入り、ベッドにもぐりこんだ。