関西粒トロアンサンブル旅行記2

5月27日(日)

午前3時。

町の喧騒がものすごく、目が覚める。

上の階の人は、何をしているのか、どすどすと歩き回っている。

同じフロアの人が、出たり入ったりする音が聞こえる。

しまいにはヒョーという女の人の声のような風音が聞こえてくる。

ためしに起き上がってみたが、目が悪いので、

たとえ幽霊がいたとしても見えない。

うるさい、私は明日6時半には起きてメシ食ってチェックアウトして、

阪神鉄道の甲子園駅まで行かねばならないのだ。

幽霊や町の喧騒にかまってられないのだ。

おやすみっ、と、ふとんをかぶった。

午前6時。

目が覚めた。

相変わらず町の喧騒はうるさい。

いったい何台救急車が通ったのか、数えきれない。

そんなに具合が悪い人間がいるのか。

救急車なんか、ウチの地元ではたまにしか通らない。

たまに、新聞の死亡欄でこの前の救急車で運ばれたけどダメだった人がわかるぐらいである。

ああ、震災の直後の救急車はすごかった。

大阪の救急車の量はそのぐらいあったかもしれない。

前日買ったコンビニおにぎりをほおばる。

海苔を巻いていたら、手がめためたした。

食べてみるとばりっとすごい音がし、海苔に味がついていた。

思わずツイートした。

腹が満足し、ホテルを出る準備もできた。

この後に会う面々が、昨日の神戸牛のせいか、ぽんぽんぺいんであったと言っていたのだが、

すこぶる快調な私の腹であった。

チェックアウトを済まし、駅に向かう。

昨日と逆で梅田に出るのだ。

梅田・・・梅田・・・

梅田駅まで来てから、梅田周辺に宿をとったといっていたしょうたろうくんと

待ち合わせればよかったと後悔したが、時すでに遅かった。

梅田駅でおろおろしていると、駅員室の中のおっちゃんと目があった。

完全に迷子の体の私を見守っている。

結局その駅員にどこから乗ればいいか聞いて、始発待機の列車の前まで来た。

何か作業中の駅員に、この電車は甲子園に行くのかと聞いたら、

苦笑気味に止まるといわれた。

苦笑されても仕方ないのだ。

何方面がどこにあるのか、文字通り右も左もわからないのだ。

貴様も東北自動車道を一関インターで降りたら、

栗駒右千厩と書かれていても、大船渡がどっちに行ったらいいかわからんだろう。

と心の中で悪態をつきながら、席に着いた。

改札の前から思っていたのだが、

何やら手話で会話する団体様がいた。

あまり大船渡では見ないが、明らかに団体行動をとっている。

だから、人はいっぱいいるのだが、静かである。

みんな盛んに手を動かしている。

そのうちの一人が、私に話しかけてきた。

というか、身振り手振りでにこにこしている。

おばちゃん4人が、なにかを訴えているんだが、いまいちわからない。

私は手話がわからないのだ。

焦ったが、どうやら、座席をひっくり返してボックス席にして、

私が座っていたところに4人で座りたいらしい。

なるほど、見えないと会話にならないので、

向い合せに座っておしゃべりしながら乗車したいようだ。

まだ中腰の私を尻目に、座席をひっくり返した。

あまった座席に、私は移動した。

向かいのボックスにいたおじさんが、手話で、ありがとう的なことを言った。

軽く会釈をして、あらためて座った。

ほどなく甲子園駅に到着した。一番乗りだったのか、昨日見た知った顔がいない。

茫然と虚空を見つめていると、誰かが手を振っていた。

秋田出身で同級生だと昨日判明したやすさんだった。

気づけよ私w

全員が合流し、アンサンブル会場に向かう。

私はまたしづかさんのミニクーパーに乗り込んだ。

途中、高速道路に乗りそうになったり(やすさんたちは乗ってしまったらしいw)、

入り口がよくわかりにくかったりしたが、まあ無事着いた。

しかし、みんなカーナビを使いこなしていた印象だった。

大船渡界隈では、カーナビなんか使わなくてもなんともない。

たまに遠出するときに使う程度だ。

私にはグーグルマップを印刷したもので十分だ。

以前、花巻でアンドロイドで地図を見ながら回ったら、

電波が不十分で矢印が進まず、かえって迷子になったぐらいだ。

意外とアナログな私だった。

このために重い思いをして楽器をたんがいできたのだ。

荷物置き場に荷物をおろし、楽器を組み立てる。

午前中から楽器を吹くのは、母校の生徒の練習を見に行く時ぐらいだ。

まあ、時間帯としてはおなじぐらいだろうか。

ただ、前の日のビール3杯は大丈夫だろうか。

でもみんなぽんぽんぺいんなのだ。

思い思いのウォームアップをして、会議室に向かう。

今回のメイン会場だ。

私は、普段アンサンブルをしないので、アンサンブル譜は持っていない。

それどころか、エチュードもろくに持っていない。

昨日の飲み会で、まさかの最年長、まさかの最北来阪でなかったのがびっくりだったが、

みんなとってもうまかった。

私は、こういう会は初めて参加したので、

初見力のなさが露呈してしまった。

やっぱりメロディアエチュードは買うべきだと強く思った。

高校生が暗譜して毎日吹いているエチュードを、トミーさんが軽やかに吹いていた。

ああ、こんなに軽やかな曲だったのかと驚いた。

私はリップスラーをひたすらやった。

作曲家の長野先生から届いたというウエーブマシーンとやらを、

しょうたろうくんと組み立てた。

が、テープで張り合わせるという工程に驚愕した。

テープなんかねえよw

仕方ないので、梱包されていたダンボールを閉じていたテープをはがして箱を組み立てた。

ウエーブマシーンとは、波の音を出すための装置だった。

ぷつぷつした透明の粒を箱にばらまき、左右に傾けると、

まるでさざ波のような音(ざざあ〜、ざざあ〜)が流れる。

木箱に小豆で波の音を出すという、古き良きウエーブマシーンのことを思い出した。

原理は同じだ。

長野先生の曲とは、いつぞやの課題曲の原曲だった。

ちなみに私はあんまり速い曲の場合、8分音符よりこまかい音は初見はムリである。

隣にはひろこさん。プロの方とはこの方だった。

ここにきて、低音金管な人で細身の方に出会う。

夢のトロンボーン11重奏+打楽器3を演奏した。

他にもいろいろ演奏したけど、そして演奏したかったけど、

今回はこれで終わり! 

14:05発の仙台行きに乗るために、しづかさんの車に乗り込んだ。

さよなら粒トロ、さよなら大阪。

と思ったら、甲子園駅発の空港行きのバスに乗り遅れた

「今日は甲子園デーゲームやから、駅混むで」

熱烈阪神ファンのあいさん言ったとおりだった。

すかさずしづかさんとあいさんの手配で、大阪市内に向かっていたトミーさんを捕まえてもらい、

空港まで送っていただいた。

最後までご迷惑をかけました。

みんなのおかげで、伊丹空港には余裕をもって到着できた。

手荷物を預け、売店で靴1足分相当の土産を買い、

無事に搭乗口まで行った。

帰りの飛行機は狭かったが、少し飛行機に慣れたのか、行きより気楽に乗れた。

結局スマホに入れた映画は見なかった。

小一時間程度で仙台空港までついた。

帰りは行きと逆で、同じく仙台空港アクセス線に乗って仙台駅までついた。

仙台に来たら必ず行くケンタッキーで遅い昼食をとり、みんなへのお礼ツイートをした。

大船渡行きの高速バスは、40番乗り場である。

30分前には乗り場に到着した。既に行列ができていた。

大船渡行きかどうか、列に並んでいる人に聞きながら、教えながら、待っていた。

後ろに並んだ派手な服のおばさんと少し話した。

60代ぐらいだろうか、エメラルドグリーンのジャケットにばっちり化粧もキマっていた。

大阪スタイルでは寒かった仙台、パーカーの上にジャケットを着こんだ。

バスのトランクにキャリーと楽器を積み、4時間のバス旅に突入。

行きよりは気楽に乗れ、バッハの曲集と三沢慶のアルバムを聴きながら帰途につく。

真っ暗になった帰り道。

気仙沼はまだ街中を通ったので少しは明るかったが、陸前高田に入ったあたりからは、

信号しか明かりがなくて、いったいどこを走っているのか分からなかった。

縦貫道に乗り、通岡トンネルを走行。大船渡に突入した。

商人橋バス停で、仙台駅にいた派手なおばさんが下車していった。

大船渡の人だったのかw

なぜかコーラが猛烈に飲みたくなった。

サンリア前には母が迎えに来ていた。

ローソンに寄ってコーラを買い、無事に帰宅した。

弟が作ったカレーが待っていた。

あっという間の2日間であった。

ホントに楽しかった。

惜しむらくは、アンサンブルは最後まで参加したかった。

あと、たこ焼きを食べなかった!!

伊丹空港で冷凍のたこ焼きを買おうとしたが、どれが何やらわからず、

結局買えずじまいだった。

そんな置き土産があった今回の旅。

次回があったら、今度こそ2泊以上して観光もして、たこ焼きも食べ、

アンサンブルは全日楽しみたい、そう思って風呂に入って寝たのだった。

みんな、ありがとう!!

ぜひまた会いましょう!!