ドラクエの思い出1

いよいよ発売まで10日を切りましたドラクエVIII

こっからはほぼドラクエの事ばかりになるでしょう。

ドラクエ話で27日までテンションを上げていきます。

ちょうど今度のドラクエでは、戦闘で新しいシステム「テンション」というのが導入されるらしいので、

テンション上げにはちょうどいいですね(?)

いつも読んでる方々には意味不明かもしれません。

新しいアヤノワールドへようこそ(3回目)

ドラクエとの出会い、ゲームとの出会い〜

私が小学生のとき、ゲーム機を買ってもらった。

当時ゲーム機と言えばファミコンのことであり、

校長先生はファの発音がイマイチで「ハミコン」と朝礼で連呼しており、

児童の失笑を買っていたものだった。

今も昔も、新しいものは古き人々に嫌われ、

家庭用ゲーム機のファミコンは、当時としては最たるものであった。

当然、うちの親もそんなものは買ってくれはしなかったが、

祖母という存在があり、正月に私と弟へお年玉としてファミコン代をくれた。

私と弟は喜んで、母と三人で、市内のショッピングセンター内のおもちゃ屋ファミコンを買いに出かけた。

当時私は5年生だった。

1月の岩手は寒く、今よりも積雪量は多かった。

私の住む大船渡というところは、東北地方なのに積雪量は少ない。

東京などと同じ太平洋側にあるので、冬場は乾燥して降水量自体が少ないからだ。

それでも、当時は30cmくらいは年2,3回は積もった。

今は10cmも積もらないが。

自転車で2,3キロのところにあるショッピングセンターへ向かい、

帰りは母の自転車の荷台にファミコンをくくりつけて帰ってきた。

当時、ゲーム機をテレビにつなぐとテレビの写りが悪くなるとのことで、

祖母はゲーム機をつけるのを嫌がり、茶の間のメインのテレビに接続した。

誰がやったかは覚えていないが、私か、電気屋さんか、近所のおじちゃんだろう。

母と幼かった弟は、機械オンチなのだ(弟はさすがに今は分かるが)。

初めて買ったゲームは何故か「忍者ハットリ君」。

横スクロールの面クリア型アクションゲームだ。

当時はスーパーマリオ型の横スクロールゲームか、

ゼビウスグラディウスのようなシューティングゲームが主流だった。

なので、人気漫画やアニメキャラを使った似たようなゲームは、

たくさん出ていたのだ。

次の日の朝起きると、私と母と弟は朝食を目の前にして正座をさせられ、説教された。

当然、ゲーム機などという不健康で、子供のおもちゃにしては高いものを買い与えたことについてだ。

父は仕事で夜8時より前に自宅にいたことはなく、買った日も自宅にはいなくて、

次の日になってハコを見て気づいたらしい。

色々怒られたが、買ってきてしかも開けて遊んでしまったものを返せる訳がない(当時「返して来い!」が父の口癖だった(笑))

条件付(遊ぶ時間とか色々)で何とか許してもらって朝ごはんにたどり着いたが、

出資元の祖母が、父の後ろで何事もないように朝の連ドラを見ながらメシを食らっていた光景が、

未だに私の目に焼きついて離れない。

程なく、私は現在の自宅へ引越し、転校を余儀なくされた。

転校先の学校の近所には、後に吹奏楽部でトランペットを吹く事になる、

同級生が住んでいた。彼女は、当時は小学校の金管バンドでベルリラを叩いていた。

私も、前の学校ではスクールバンドでコルネットを吹いていたので、

ぜひ転校先でも金管バンドとやらに入部したいと言ったのだが、

楽器が足りないということで、あきらめた。

そこで、前の学校の卓球部の男の子が好きだった私は(笑)、

卓球部に入部して(全然できないのに)、

そこのエースで後に吹奏楽部でフルートを担当する事になった同級生に

ものすごくしごかれたなどというのはまた、別の話である(笑)

その後のトランペットとフルートと私は、住んでいる地域がいっしょだったので、

時々一緒に遊んだりした。

特にトランペットは、2軒先に住んでいたので、よく遊びに来た。

彼女もゲームが好きだった。

そして、その彼女が持参したゲームソフトこそ、

ドラゴンクエストだった。

(つづく)←(笑)